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【生き】祖父に聞く過去【証人】

1 :日出づる処の名無し:04/03/15 23:37 ID:qgVuI10J
こんなサイトを作ってみた。

http://xhikin.hp.infoseek.co.jp/sofu/

漏れだけじゃじじいの全部の言葉引き出せネェから、
おまいら何でもいいから、大東亜戦争以前から終戦までに関して
気になったこととか質問書きこめ。
テキトーに抜粋して毎週土曜日聞くから。

208 :日出づる処の名無し:04/05/12 14:17 ID:5KSaQwl+
ホシュ

209 :日出づる処の名無し:04/05/12 21:23 ID:rjBeuoZw
>>207
いやちょっと待て
それって通り魔つーか無差別攻撃じゃないの?
敵の首じゃないのか?

210 :日出づる処の名無し:04/05/12 23:29 ID:wLoHMxoG
>>209
そうですね。普通は敵の首を狙うものなんですか?

211 :日出づる処の名無し:04/05/13 09:54 ID:jjONeLTC
age

212 :日出づる処の名無し:04/05/13 10:07 ID:ZAyULa5S
>>207 それって本当に台湾の話?
アフリカで宣教師が、というバージョン見たんだけど。

213 :日出づる処の名無し:04/05/13 10:57 ID:jOUoxept
私の祖父は当時広島の西条にある農学校に通っていたんですが
原爆が落ちた後、学友と一緒に被害者の救助のために広島に入ったところを
被爆したそうです。原爆の被害は言葉じゃ言い表せないほど酷く、
原爆の影響で私の祖父は今でも足が悪く、父の兄弟のうち2人は生まれてすぐ亡くなり、
もう1人の伯母も耳に障害を持って誕生しました。五体満足に生まれたのは父だけです。
そんな祖父ですが戦時中朝鮮人に酷い目に合わされたらしく今でも朝鮮嫌いです。
ただ、中国やタイ、マレーシアなどの国々についてはべた褒めしておりました。


214 :日出づる処の名無し:04/05/13 17:13 ID:xahk5+Cp
>>212
一応、祖母は族長さんから聞いた話として教えてくれました。
あたりまえですが、僕が直接聞いたわけではないので、
詳しく聞かれても正否の判断はできないです。

215 :日出づる処の名無し:04/05/13 21:50 ID:WE4t1dBg
僕の祖父は当時呉の軍港に居たらしい
(祖父は海軍の兵隊で昇級試験に受かり研修の為呉にいたとのこと)
原爆が落ちたときはものすごい閃光だったそうです。
教育隊がにわか救援隊となり広島に行き被爆
それから2〜3年くらい出血するとなかなか止まらなかったらしい
(祖父曰く広島に入って何日か経つと虫に刺された所から血が出て止まらくなり
白い制服(セーラー服か?)が真っ赤になった。)
原爆手帳を申請するも部隊が広島へ救援に行った記録が見当たらないことや
その症状が原爆との因果関係がはっきりしないため貰えなかったようだ。

祖父は朝鮮人とイタリア人に対して良く思ってないようでした。
(ニダーとは復員後の仕事上でもトラブルが多かったから。
イタリア人についてはわからないと親父)
以上長文スマソ


216 :日出づる処の名無し:04/05/19 21:31 ID:8awtFlfs


217 :日出づる処の名無し:04/05/22 07:55 ID:UqF/9ahs
>>215
自分の祖父も呉の軍港にいたそうです。
土木技術者ということで何やら建設の仕事をしてたらしい。
原子爆弾が落ちた時に、窓からピカッっと閃光が入って、
その後にドーンっと音と共に窓ガラスが割れたそうです。
最初にキノコ雲を見たときには化学工場の爆発だと思ってたらしく、
どうやらそれがアメリカの新型爆弾と分かったのはその後とか。
幸運にも基地内建設の仕事があったため救助には行かなくてすんだけど、
救助に向かった友達はその後何年かしてから、みんな死んでしまったとか。
>>215さんのおじいさんは、被曝しても症状が軽い方だったのでしょうか。
よかったですね。

218 : :04/05/22 12:32 ID:cJnTET5z
ヒロポンうって図面書いてたらしい。なんの図面かしらない

いい話も悪い話も聞く前に逝ってしまったから

親戚に聞けばいいか

219 :日出づる処の名無し:04/05/22 16:07 ID:0bzI0Dpt
>>212
もっとくわしく。

220 :深山幽谷 ◆Nippon1kwg :04/05/25 00:24 ID:V9K1AJbI
保全

221 :日出づる処の名無し:04/05/26 23:53 ID:Ol0XlyB5
age

222 :日出づる処の名無し:04/05/27 04:12 ID:KYbjpgIf
いいスレだ(ノ_・、)

223 :日出づる処の名無し:04/05/27 18:23 ID:xUJPtBGy
>>215
お爺様がイタリア嫌いなのは
三国同盟のうち一番最初に降伏して
あげく寝返って元同盟国に宣戦布告してきて、
ちゃっかり戦勝国に収まって賠償金までせしめてるからでしょ。

224 :215:04/05/29 01:14 ID:C/JHPLY6
215です

>>217さん
どうもありがとうございます。
多分症状が軽かったのだと思います。
その話になると「これでもまだ自分はいいほうだった」と言ってましたので。
もう数年前に亡くなってしまったので詳しい話が聞けないのです。

>>218さん
当時はヒロポンは違法でなかったようですよ。
戦後の数年は薬屋さんで売っていたようですしね。

>>223さん
祖父がこの世の人でない為確認しようがありません
父に聞いてきても「よくわかんねけど親父はイタリア嫌いだったなぁ」としか言わないので
個人的には>>223さんが言っていることが原因では?考えていますが本当のところはどうなんだろう





225 :日出づる処の名無し:04/05/29 16:53 ID:UOPeX1Xg
みなさんのご先祖(というには余りにも近い先祖だが)は、
玉音放送について何か感想をもってませんでしたか?
TVとか当時の回想シーンだと、大抵ラジオの前で直立不動で整列して
聞いたりしてますが、うちの家族からは玉音放送についての感想を
聞いたことがないもんで。(尋ねたことはあるが、覚えてないとのこと)
もっとも祖母に至ってはラジオが果たして村の集落にあったのかも
定かではないのですが・・

226 :日出づる処の名無し:04/05/29 17:38 ID:YrkivA4q
>>225

もう亡くなってしまいましたが、ばあちゃんに聞いたことがあります。
村の小学校?の校庭に集合して、村民みんなで聞いたそうな。

雑音が多くて何を言っているのかわからず、放送が終わってから校長先生だか
えらいさんが説明していたとの事。
いっしょに連れられていった当時5歳だった親父は何一つ覚えていない・・・

227 :日出づる処の名無し:04/06/03 16:16 ID:GBFlk7sN
age

228 :日出づる処の名無し:04/06/03 16:48 ID:yCmy98Wm
この間亡くなった内の爺さんは、通信兵だった
体が華奢だったんで、上官から試験を受けるように勧められて
超難関だったけど、なんとか合格出来たと言っていた
始めは中国で勤務した後、内地に戻って後進の指導を行い、
しばらく後からは、南方戦線を点々したけど、なんとか無事に帰ってきた

通信兵は「生ける兵器」と呼ばれて、色々と厚遇されたって言ってたな
普通じゃ貰えないような栄養のある食事とか、煙草とかもあったらしい
ただ、通信機器が半端じゃなく重くて、さらに修理も全部自前でやるから
本当に大変だったらしい。爆弾が身近に落ちて十メートル以上吹っ飛ばされた
時もあったけど、機器はしっかり抱き抱えてたと言ってた。




229 :愛思想思慕 ◆AISITERWOk :04/06/03 17:22 ID:nPGVEAr5
うちのじーちゃんは「大東亜戦争は日本の大勝利だ!」と言い切りました。


230 :日出づる処の名無し:04/06/03 18:44 ID:6dF24kYn
おい、>>1のじいちゃんの話しがある程度まとまったら
本にしよう。貴重な記録だど。
当時の空気がつたわってくるようだ

231 :日出づる処の名無し:04/06/05 20:38 ID:bwCoE1FR
>>229
軍事的な意味では、勿論日本の負け
政治的で言えば、アジアは解放されたんで日本の勝利(つか大東亜の勝ち)

全体的に言えば、政治的に勝った上に、国体を維持したまま国際社会に復帰出来た
のだから、一方的な負けって事はないな
まぁ、日本から強制分割された上に、民族分裂の憂き目に遭った朝鮮が
一番の負け組かもね。そこんとこは、少し同情する。

232 :日出づる処の名無し:04/06/05 21:08 ID:tEFOIgUn
そういえば、俺の祖父さん、物凄い外反母指だったよ。
支給される軍靴が足を合せた為、そうなってしまったんだとか。

シベリア出兵で外地に行き、太平洋戦争の頃は在郷軍人として、
学校の軍事教練の教官をしていたそうな。

戦争については、何にも話さなかったなあ。

あと、オフクロは女子挺身隊として、軍需工場で働いたそうな。
一生懸命作業をしていたら、監督に褒められ、表彰されたそうだ。


233 :日出づる処の名無し:04/06/05 21:17 ID:Xl2m6QuC
日本の勝ちでなく、欧米からの搾取から開放された東南アジア諸国の勝ちなんじゃない。
たとえば必修科目で日本語が教えられていれていたり、東アジア地区の外交の席では
日本語を使うとかなっていれば勝ちだと思うけど

234 :233:04/06/05 23:57 ID:Xl2m6QuC
へんてこな日本語でスマソ(´・ω・`)

235 :通りすがり:04/06/06 02:51 ID:4GuMVM/k
>>207 の補足説明
A. 義人呉鳳の話
唄にもなった義人呉鳳の話  ツオウ族に伝わる伝説
清朝時代、嘉義に呉鳳という、原住民に慕われていた役人がいた。
彼は首狩りの悪習を廃そうと、懸命に原住民を説得した。しかし、原住民はもう我慢出来ない。
今年こそ首狩りをさせろとつめよった。呉鳳は言った。赤い頭巾をした老人がとうるから、
その首を狩れと。 原住民たちは喜んで、言われたとうり老人の首を狩った。
その首は誰あろう呉鳳その人であった。
呉鳳の命を捨てての説得に、原住民たちは首狩りを止めた。
この話は戦前の日本の修身教科書に載っており、台湾の道徳の教科書にも
記載されていたが、原住民の、「子供には、呉鳳の犠牲心より、首狩りの
ほうに興味がいき、我々のイメージを損なう」との抗議で削除されました。
そしてこの呉鳳伝説は実は漢民族側の口述を元に語られていると言う点が
ツオウに取っては面白くない様でも有る。
ツオウ側からは呉鳳は「ツオウから搾取する悪人だった」
「昔、疫病が流行ってツオウの人口が激減したのは呉鳳の祟りのせいだ」
などなど、この伝説はツオウ側からは結構否定的に受け取られている。
後、原住民の中でも自ら首狩の風習を捨てられたのはツオウだけだと言う点も
「別に(漢民族である)呉鳳に諭されて首狩を止めた訳ではない」と言う
ツオウ達の主張が有ると思われる
(ツオウは漢民族と古くから交流していたらしいが漢民族には常に悩まされていたらしい)。


236 :日出づる処の名無し:04/06/06 03:15 ID:dvxJOJjV
さりげなく枢軸国側のタイがアジア一番の勝組みだろう

237 :日出づる処の名無し:04/06/06 13:29 ID:XCMpygyj
>>225
勤め先の学校で聞いたらしい(祖母は教師だった)。泣き崩れる人も
いたし、おばあちゃんは「敵が本土に来るのだから、当然、死を決意した」
って言ってた。

まあ終戦前から、どんどん徴兵された人が死んでいくし、「こりゃ負けるな」
とは思ってたらしい。でも真面目な人にそれを言うと「どこで憲兵が聞いてるか
分からないから言っちゃだめ!」って怒られたのだとか。

若い教員仲間とは、休み時間に皆で将来の夢を語り合ったんだって。
その話を聴いたときは、戦争中でもちゃんと青春はあった、と、人間の営み
そのものに感動した思い出がある。恋愛もあったようだしね。

238 :日出づる処の名無し:04/06/06 13:39 ID:vdpJqv1h
>>237
むしろそういう時こそ恋愛は熱いのだと思うが

239 :日出づる処の名無し:04/06/06 13:41 ID:XCMpygyj
終戦直後の秋だか冬、アメリカ人の女性が「民主的な教育を教えるため」
という名目で、祖母の学校にやってきた。通訳の日本人が語る「民主主義」。
いままで使っていた教科書は、塗りつぶされた。

でも、祖母はアメリカ人に酷いことされて殺されるのだとばかり思っていた
ので「アメリカ人は敵に対して心が広いなあ」と思ったらしい。英語教育が
無くなる前に学生やってたから、少し英語も分かってたし、あまり悪い印象
は持ってなかった。


学校には女教師が、自宅にはGHQのアメリカ軍人が来たので地元の名士が
集まって接待したらしい(屈辱的だ)。軍人は家に上がるとき、靴を脱がなかった。
でも私の曽祖父はそれに対して何も言わなかった。仕方ないけど何か悔しい。

ていうか何でウチなんかに来るんだよ・・w

240 :日出づる処の名無し:04/06/06 13:43 ID:XCMpygyj
>>238
そうかもね。祖母に私の恋愛相談をしたときも、祖父との
出会いとか(恋愛結婚だった)教えてくれたし、親戚や友人
のことを教えてくれた。見合い全盛の時代にも、恋愛は
あったのだ・・。当たり前のことだけど、ビックリした。

241 :日出づる処の名無し:04/06/06 13:46 ID:XCMpygyj
ていうかスレタイ「祖父に聞く」なのに、
女から見たヘンなこと書いちゃったね
:.`∵;:・(゚д゚ ) ブファァッ!

242 :日出づる処の名無し:04/06/07 21:38 ID:aQCBJzVr
>>239
上前淳一郎の「読むクスリ」(文藝春秋)にも、似たような話が出てくるね。
日米間で、アマチュア無線のSQL(交信記念)カードを交換しあっていた2人の少年。
ところが東京が大空襲に遭って、日本側の少年は疎開した。
それからしばらくしたある夜のこと、少年一家の泊まっている家の玄関を、
進駐軍のMP(憲兵)が叩く音がする。政情不安で事件が多発していただけに
(さながら今のイラクのように)何ごとか、と身構えていると、なんとくだんのMPは、
日本の少年とSQLカードを交換しあった、当のアメリカの少年だった。
わざわざ日本側の少年の住所を訪ねてきたところ、あたり一面焼け野原だったので
もしかして空襲で死んでしまったのでは、と心配し、MPの姿に尻込みする
周囲の人に聞きまくって、やっと少年の疎開先を訪ね当てたのだという…。



243 :日出づる処の名無し:04/06/07 22:42 ID:qIZMHGWJ
考えてみれば今の10代ぐらいからは
自分の祖父母・両親や教師・上司たちに戦争話を直接聞く機会が無いんだよな



244 :日出づる処の名無し:04/06/07 23:03 ID:qIZMHGWJ
あったとしても彼らの祖父母世代は終戦時でも
まだ少年少女の頃だから先の大戦について
空腹、徴用、疎開、空襲、戦後の荒廃といった暗い記憶しか無くて
下手したら真っ赤な左翼思想に染まっている世代だな

年寄り=酒飲んだら軍隊話して軍歌を歌いだすってイメージも過去のものとなるんだな
同時に彼らが知る戦争の真実も忘却されていく一方になるんかねぇ


245 :日出づる処の名無し:04/06/09 17:42 ID:aqOyYnr/
団塊の世代に孫が居る世の中だしな

246 :日出づる処の名無し:04/06/09 23:35 ID:L/T6q/ZJ
資料や又聞きではない生の戦争体験談を聞けなくなる日も
刻一刻と近付いてきたんだねぇ・・・・

帝国軍兵士として戦った世代に代わって
悲惨戦争体験しか記憶に無い世代と
左翼志向の強い世代が今後の年寄りで主流を占めるようになるんだな・・・

247 :日出づる処の名無し:04/06/12 00:21 ID:KGGS2fFd
俺のじーちゃんは結構偉いほうだったらしい。
いつも言ってたのが「韓国人は何故あんな事言うのか?」だった。
俺が物心ついた時にはもう他界し、今となってはその本意を知る事は出来ない。
他に記憶にあるのは
「中国人は良い人が多く韓国人はタチが悪いから注意しなければならない」
「韓国人は自分の家を自ら燃やして全部日本人のせいにする」
最も印象深いのが、
じーちゃんが戦争で使っていたブリキの弁当箱が猫の食器なっていた事だ。
生死を共にしたものが家の片隅に忘れられたように置かれていた光景は今でも鮮明に焼きついている。
もっと長生きしてくれれば話を一杯聞けたのに・・・。

248 :日出づる処の名無し:04/06/13 14:56 ID:XJ9VpVPt
>>1 のサイトは更新されてないようだが飽きたのか?
じさーん達が逝く前に話し集めないと伝聞の切れ端だけでは
世に出せないぽ。

249 :日出づる処の名無し:04/06/19 15:44 ID:d/iHYKZB
捕手

250 :250 :04/06/19 20:28 ID:8pPw6FMO
父方の祖父
当時県庁職員で平壌近郊に出向。朝鮮人のお手伝いさんや知り合いがいたのだが
終戦を境に激変。財産すべてを強奪される。たった1人だけ豹変しなかった朝鮮人宅に
逃げ込む。帰還船がいる港(釜山?)まで命辛々の逃避行だったそう。

母方の祖父
志願兵。日米戦争以前から支那大陸に於いて戦う。戦争末期に一時内地勤務となる。
その時に祖母と久々の再会。「今度の戦争で兵隊を辞める」と言い残し、硫黄島へ。
戦後、政府役人?が祖母のところへ硫黄島の砂と石ころを持参。遺骨が収集出来なかった為。

ここで質問なんですけど、九州の部隊がなぜ硫黄島に飛ばされたのでしょうか。硫黄島守備隊の
ほとんどが九州出身と聞いたのですが。バロン西も鹿児島ですよね。

251 :日出づる処の名無し:04/06/26 04:09 ID:JCv6sYXp
捕手

252 :日出づる処の名無し:04/06/28 11:08 ID:G+Le/DQd
>>1氏カンバック期待上げ

>>247

>「中国人は良い人が多く韓国人はタチが悪いから注意しなければならない」

意外な感じがします。もっと詳しく聞きたい。



253 :日出づる処の名無し:04/06/29 17:41 ID:i+zvy5bS
>>247ではないが
うちの家族も中国人(華僑)に対しては好意的だが
朝鮮人には否定的でした。とにかくロクなもんじゃない、と。
同時に露助やアカも嫌いでしたが露助はさすがにそこらにゃ居ないからね。

254 :日出づる処の名無し:04/06/29 23:14 ID:GZGS+5qG
>>252
俺の祖父もロスケ、チョンは嫌うがシナの悪口は余り言わなかったな
祖父の駐留していた地域の住人は日本軍に対して結構好意的だったみたい
仲良くなった現地人に中華料理を教えて貰った話とか楽しそうに語ってたよ

当時の中国は国民党、共産党、日本の三国志状態で勢力が割れてたから
今思われているように中国全土・全国民が反日一色なんて事は無かった・・・んかな


255 :日出づる処の名無し:04/07/01 22:54 ID:lEqe99dY
>>1氏はどこに行ったの?

うちのじいちゃんは亡くなってるし、戦争の話は聞いたことがない。
馬の世話をしてたってのは聞いたんだけど。
戦いには参加してないのか?

256 :日出づる処の名無し:04/07/02 01:48 ID:jPw13l5m
小学校の頃、近くのお年寄りに戦争の話を聞いて
きましょう、という夏休みの課題があった。
ただ、話が話だけに、くれぐれも、話したくないという人が
いたら、無理に話を聞かない事、というのは何度も釘を指されていた。

で、僕は盆で帰省した時に祖父に聞いたんだけど答えてくれなかった。
あまり喋りたくないから、って。
銃後にいた祖母の話より、兵隊の経験がある祖父の話の方が聞きたかった。
でも、仕方がないな、と思って諦めた。
後日、祖母が何かの用事で僕の家に来た。
祖母は「戦争の事だったらおじいさんの方がよく知ってるんだけど」と言った。
でもおじいさんは戦争で辛いことがたくさんあって話したくないのだと。
だから祖母の話を聞いた。
 祖母は空襲で逃げた経験があったらしい。
それで、もう何度も死ぬ思いをしたから、戦争が終わった後は、貧しかったけど
もうあんな思いをしなくていいのだと思うとそれだけで幸せだったらしい。
あと、祖母はこう付け加えた。
おじいさんは話したくても話せないような怖い事を経験したから、もう絶対
戦争は嫌だし、自分の子や孫が戦争に行くような事がないようにしたい、っていう事を
僕に伝えてくれ、と。
祖父は、例えば拉致被害者家族である地村さんのおじいさんみたいな、そんな気さくな
人物だったので、その人が口をつぐむだなんて…とすごくショックだった。
下手に祖父の経験を全て聞くよりも僕の中には戦争への恐怖が生まれたかもしれない。
…まさか祖父がそれを狙っていたわけではないだろうが。

まあそれから色々とあって今でも教育勅語なんて見ると鼻で笑っちゃうような、
そんな青年に成長したのでこの板の反応からすれば「反日ブサヨク」に見えるのだろうが、
「チョンは一人残らず氏ね」なんていう「お笑い愛国者」にはなりたくないので別に気にしていない。

257 :日出づる処の名無し:04/07/02 23:55 ID:iQGQe8hy
>>256
軍人勅諭をならまだ分かるが何故教育勅語なのか

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